忘備録

今の思いを忘れないように

Wake Up, Girls!が解散した日

 2019年3月8日、Wake Up, Girls!は、さいたまスーパーアリーナでのファイナルライブを終え、解散した。

 

 しかし、公演終了後、自分の中で解散の実感が全くわかなかった。最後のライブであることを自分に言い聞かせて参加していたのにも関わらずだ。「また来週公演があるんじゃないか?」と思ってしまうくらい、WUGが解散した事実を感じられていなかった。

 

 解散というものはもっと劇的なものだと思っていた。ライブ後の自分は、涙が枯れるくらい泣いて、心にぽっかり穴が開いたような気持ちになり、歩けなくなっているのではないかと。でも、そんなことはなく、涙腺からはまだ涙は出るし、喪失感ではなく得体のしれない不安感が襲いつつも、普通に歩いて宿泊場所まで行けた。

 

 Wake Up, Girls!が解散することで、公の場で7人が一緒に集まる機会はもうないということは知っていた。ただし、それがどういう未来なのかは全然想像できていなかった。だって、Wake Up, Girls!は7人でWake Up, Girls!だし、Wake Up, Girls!じゃない7人を私は知らないから。解散するの初めてだから仕方がないよね。

 

 「本当に解散したのかなぁ」なんて思い、ライブ中の彼女達を思い出すも、間違いなくそれは終わりを告げるライブで、どの場面を切り取っても自然と涙が出て苦しくなってくる。なのに、終わったという実感がない。

 解散という事実を情報として知っているだけで、本能的なところで解散を受け入れられていなかった。WUGの解散を自分はいつまでも受け入れることができないのではないかと怖くなり、何とかしなければと思った。ひょっとしたら放っておいても時間が解決してくれたのかもしれない。でも私は、このグチャグチャな感情が風化する前に、どうしてもWUGが解散した事実に自分なりに決着をつけたかった。

 「そこに行けば何とかなるのではないか?今の自分の感情に整理が着くのではないか?」

 本当に答えが出るかどうかも分からないのに、救いを求めるかのように、ファイナルライブの翌日、仙台へ向かった。

  

+1日

 3月9日(勾当台公園、日立システムズホール仙台、仙台城跡、望洋台公園、榴岡公園、餃子の天ぱり)

 

 この日、仙台は晴れていた。

 新幹線で仙台に着いた私は、まず駅でレンタカーを借りた。

 

 初めにハジマリの地である勾当台公園へと向かった。勾当台公園のベンチにぼーっと座っていると、ワグナーらしき人がちらほら現れる。ある人は色々な角度から写真を撮り、またある人は野外音楽堂のステージを眺め物思いにふけっていた。私は、少し嬉しく思っていた。SSAの翌日に仙台に行く人が自分以外にもいること。そのワグナーが何を求めて仙台に来たのかは分からないけれど、遠征先でワグナーを見かけることが、HOMEツアーで見慣れた光景で、まるでまだツアーが続いているような感覚に陥った。

 

 次は、日立システムズホール仙台に向かった。アニメではダンス練習を行い、7 SensesのMV撮影にも使われたパフォーマンス広場では、ブレイクダンスを練習する少年たち、弦楽器を弾く青年、管楽器で空気を震わせる女学生と、様々な人が各々好きなことをやっていた。自分はというと、何もせず、その自由な空間にただ身を置いていた。しばらくそうしていたが、自分だけ何もしていない状況をバツが悪く思い、その場を去った。ワグナーはいなかった。

 

 日が出ているうちにその景色を見たかったのもあり、次は仙台城跡に行った。広場から仙台を一望すると、広瀬川を境に市街地と郊外に綺麗に別れていることがわかる。伊達政宗の騎馬像の写真を撮っている観光客が多かったが、「梵天丸さま~」のアフレコ映像を見てここに来た人間はいなそうだった。

 

 せっかく来たのだからと思い、続いて望洋台公園へ向かった。望洋台公園は山の上の住宅街の中にある小さな公園だった。市街からも遠く、アクセス手段も少ないため、聖地巡礼の中でも難易度が高いのがよくわかった。公園では、親子がキャッチボールをしていた。ボールがグラブに収まる小気味よい音を耳に、島田真夢と松田耕平の出会いのシーンを思い出していた。当然ながら、ワグナーはいなかった。

 

 日も落ちてきてきたので市街地に戻ろうと思い、カーナビの目的地を榴岡公園にセットした。榴岡公園に着くころには、外は真っ暗になっていて、野外音楽堂を見つけるのに少々苦労した。野外音楽堂はMVで見るよりも大分小さく感じた。この狭いステージでのびのびとしたパフォーマンスを見せていたWUGちゃんすごいなと思いながら、ベンチから音楽堂を眺めた。時間も時間だったので、ワグナーはいなかった。

 

 駅にレンタカーを返し、宿で一休みをした後、餃子の天ぱりへ向かった。閉店間際だったからか、お客さんは誰もいなかった。久留米ラーメンと天ぱり餃子を頼み、出てくるまでの間交流ノートを覗いてみる。3/9の日付でワグナーのメッセージがたくさん書かれていた。昨日の今日だというのに熱心な人が多いなぁとまた嬉しくなった。閉店時間も近づいていたので、特徴的な海苔が添えられたラーメンと餡がぎっしりでジューシーな餃子をいそいそと食べた。

 店を出る際に、私がワグナーであろうことに気づいた店員さんが、「ゆっくりさせてあげられなくてごめんね」と声を掛けてくれた。ギリギリに来た私が悪いのにそんなことを言ってもらえてこちらこそ申し訳ないと思いつつ、「いえ、そんなことないです。また来ます」と答えた。そして、お店を営んでいる人にこれを言っていいのか悩んだけれど、どうしても伝えたくて、でも無責任なことを言うこともできなくて、目的語を抜いて「これからもよろしくお願いします」とだけ伝えて店を出た。ずるいよね。

 

 宿までの帰り道、勾当台公園にまた寄った。夜の勾当台公園は昼とは全然違く、音を立てるものは何もなかった。昼間来た時に座ったベンチにまた座る。

 「今日、最後のブログ更新かぁ」

 当然知っていたけれど、ブログのページをどうしても開くことが出来なかった。このブログを読んだら、本当に終わってしまう。思えば、仙台公演が終わった後、割と平静だったのは、SSAという次があったからかもしれない。SSAが終わった今、Wake Up, Girls!としての次があるのは、このブログ更新だけだ。このブログ更新を最後に、もう次はない。そして、終わりのトリガーを引く覚悟が自分には出来ていない。解散する事実を受け入れてないのだから。待てども気持ちが変わることもなく、ただ時間が過ぎていくだけ。考えることをやめて宿に帰ることにした。ワグナーは現れなかった。

 

+2日

3月10日(勾当台公園、喫茶ビジュゥ) 

 

 昨日に引き続き仙台は晴天で、春らしい陽気だった。

 昨日休みだったビジュゥに行こうと思ったが、開店時間にはまだ早い。通り道というのもあり、私はまたしても勾当台公園へ行くことにした。

 

 勾当台公園では家族連れがピクニックをしていたり、おっちゃんがベンチで仰向けに寝ていた。たぶん、これが普段の勾当台公園なのだろう。缶バッチやリボンチャームをバッグにつけた人もいない、アウターの首元から原色パーカーのフードを出している人もいない、野外音楽堂の写真を撮る人もいない。そりゃそうだよなあ。そんなことを考えていたら開店時間が近づいていたので、ビジュゥへと向かった。

 

 喫茶ビジュゥに着いたのは開店直前。一番乗りだった。仙台公演の後はすごい行列だったと聞いていたから少し心配だったけれど、どうやら杞憂だったようだ。仙台公演の映像で見た店員さんが店の扉を開け、店内へ案内してくれる。なんだか不思議な気分だった。

 菊間夏夜バースデーメニューのピスタチオのダコワーズグアテマラコーヒーとセットで頼み、WUG関連コーナーに足を運ぶ。交流ノートをパラパラめくるとイラストが妙に多いことに気づく。用意しているペンの種類が豊富なことが関係していたりするのだろうか。自分の席に戻ると、客席は8割がた埋まっていた。オープンしてそんなに時間が経っていないのにすごいなぁと思いながら店内を見まわす。赤ちゃんを連れた夫婦、カップル、一人客、カップル、カップル……まあ大体カップルだった。やはりここも普段はこんな感じなんだろうなと思った。ワグナーだけで店内が埋まるなんてのは、普通はないことなんだろう。

 ピスタチオのダコワーズの後に、ハニーバターワッフルも追加で頼み、落ち着いた時間を過ごした。ふと、バースデーメニューはこれからもやってくれるのだろうか?という疑問が頭をよぎる。やってほしいな、と思いつつも昨日と同じくそれを言うことが憚られ、「美味しかったです。また来ます」と言って店を後にした。

 

 家に着く時間を考え、そろそろ帰らねばと仙台駅に向かって歩いた。この二日、仙台を色々回って分かったことがある。タイミングというものもあったし、そもそも擬態していたのかもしれないけれど、仙台でワグナーを見かけることがあまりなかった。今まで遠征先では、石を投げればワグナーに当たるくらいのレベルでその辺をワグナーが歩いていた。それが当たり前の光景だった。その地でライブしてるんだから当然なんだけれど。

 たぶん私は、自分が解散を受け入れられていないのが不安で、同じような人がいるかもしれないと思って仙台を訪れた。それは結果として裏切られたのだけれども、それが却ってWake Up, Girls!は解散したという事実をまざまざと直視することになった。

 ライブがあったから、大勢のワグナーがその地に集まったということ。ライブがなくても訪れるワグナーは当然いるだろう。でも、それは個人の範囲であって、一斉にというのは今後あり得ないということ。そんな当たり前のことに、私は今さらながら気づいたのだ。

 

 市原のガストが7色に占拠されることはもうない。

 座間のカレーは枯れないし、

 大宮駅前をビブス集団が闊歩することもない。

 岸和田のたこ焼き屋にカラフルな行列は出来ないし、

 盛岡でわんこそば証明手形に特定の数字ばかりが並ぶこともないし、

 横須賀イオンに原色パーカーが集まることもない。

 熊本城に翼の生えた人は出現しないし、

 大阪のドンキからピンクのサイリウムが一瞬で消えることもない。

 長野で雪遊びをし始めるいい歳した大人もいないし、

 鳴門のラーメン屋で同じチャームをつけた人達が麺切れを起こさせることもない。

 一宮の居酒屋でそこかしこから「優勝!」が聞こえることももうない。

 仙台の街中を歩いているだけで、知らない人から独特なポーズを向けられることももうないし、それに対して同じポーズを返すこともないのだろう。

 そして大宮、さいたまスーパーアリーナにあんなに大勢のワグナーがWUGちゃんのために駆けつけることも、もうない。

 

 「なぜ、”もうない”のか?」

  ワグナーが集まらないから。

 「なぜ、ワグナーが集まらないのか?」

  Wake Up, Girls!は解散してしまったから。

 

 逆説的ではあるけれど、Wake Up, Girls!が解散したという事実をここで理解してしまった。ワグナーを通してWUGの解散をきちんと認識するなんて、おかしなことだと自分でも思うけれど。

 

 でもこれで心の準備が整った。解散後の向き合い方については相変わらず答えは出ないけど、「WUGは解散した」ってことだけは受け入れることが出来たと思う。

 だから、最後のブログを読もう。読んだ後自分がどういう状態になるのかは予想もつかない。願わくば、第二章のスタートラインに立てていますように。